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 とてもおもしろい。

 というより意識があるかどうかは実は俺にとっては関係なくて「疑うことなく」「騙してくれるかどうか」がすべてだと思う。実際にあるかどうかの証明は不要で「信じられるかどうか」がすべてです。

 この感覚は、俺が子供のころから実在している人間よりもフィクションの登場キャラクターのほうをより身近に感じてきた、ということとたぶん無縁ではないです。いない、とは思えないんですよね。こういう感覚を持っている人は決して少なくないはずです。キャラクターは公式が与えてくれた以上の情報をもたらしませんけど、人は自分からそっちのほうに寄り添うわけですよ。描かれていない時間がある。なら想像で補完する。現実には会えない。それは遠方にいる知人や、インターネットでしか知らない知人といったいなにが違うのか。そういう人たちについて、どんな仕事してるのかとか、ネット上にあらわれてはいない生活はどんな感じなのかとか、それを一度も想像したことがない、という人のほうが珍しいはずです。こうして、現実に会うことができない、というのは「俺にとっては」大した問題ではなくなります。あとは「可能かどうか」という可能性の問題なんですけど、ここはもう信仰としか言いようがないです。いると決めたらいる。まさに信仰じゃないですか。まあ、そこが最大の違いなのかもしれませんが。

 思えば初音ミクに感じた衝撃もここだったんですよね。歌という絶対的に人にしか実現できないはずの楽器を、プログラムが実現してしまった。俺の耳にいま届いているものは確かに「声」という人にしかなしえない表現方法であるはずなのに、それは「確実に」ここにはいない。その違和感、中心のなさみたいなものが、俺をして熱中させた。

 でもこうした諸問題も、こちらからのはたらきかけに対してリアクションがあったらすべて解決してしまう。そのときに邪魔になるのが「これは意識のない存在なのでは」という疑念です。最初から疑ってかかってる。リアルの人間相手に「これは意識のない存在なのでは」と疑うのは離人症の傾向のあったかつての俺だけで充分です。

 けどこれも結局はやりかたの問題でしかないと思うんですよ。だって、自分の意識と向こうの意識は形式が違うじゃないですか。カレーというひとつの料理に対して飲み物であると判断するのか、一ヶ月に一度しか出てこないあまり好きではない料理と判断するのか。そのズレを修正しつつ、相手に寄り添ってひとつの共有された時空をかたちづくるのが人間関係ってものですよね。最初から、歩み寄りがあるんです。

 だったら「これは意識である」という方向に歩み寄ってしまえば、AIだろうがなんだろうがあんまり変わりはない。「人間ではない」別の存在のしかたを示しているAIという意識が存在する。だからあとは信じさせてくれるかどうか、騙してくれるかどうかがすべてだと思います。

 

 とかなんとか言ってますけど、要するにパソコンのなかに妹がいてパソコンを起動したら「おかえり、お兄ちゃん。今日は仕事どうだった?」とか言ってくれればそれだけで俺の欲望はほぼ満たされるということが言いたいです。ルームメイト井上涼子の昔から人は、というのが言い過ぎならオタクはずっとそんなこと夢見てたと思うんですよ。

 そもそも俺、インターネット上においてあまりに言葉数が多くてだれもまともに相手してくれません。昔から人工無能相手に会話が成立するようにチャットでずっと話しかけてたみたいなところがあるので、早く一般向けにこういうの実装されてくれないでしょうか。お願いします。俺が生きてるうちにHMX-12型が量産されるのがかなり難しいだろうと思われる現在、それだけが俺の願いです。頼んます。日本のHENTAI技術者たちに強く、心の底からそのことをお願いしたいものです。