床屋行ってきたんすよ。休みだし。

 水曜の午前中っていうタイミングにもかかわらずやたら混雑してて、4人待ちで1時間くらい待たされたのかな。やることも特にないしこのあいだからずっと読んでるけどなかなか進まない、けっこうおもしろいのに俺とは徹底的に相性が悪いラブコメの商業ラノベを読んでました。ついに読了したんであとで感想書くつもりですけど。

 ふだんの生活が夜型なので、平日の午前中ってほとんど活動してないんですけど、床屋にいる人たちのメンツを見てると、意外に平日休みの人って多いんだな、という感じで、三十代とかの男性が多かった。待合スペースで隣に座ってる三十代前半くらいの男性は「お金のほうから寄ってくる」みたいなタイトルの本読んでて、なんか大変そうだなとか思いました。俺の知ってる限りでは、お金はお金をつかう人のところに集まってくるので、あとは使うタイミングと場所の問題かなと思いましたけど、たぶんそんなようなことが書いてあるんじゃないかなと思いました。

 待合スペースにはテレビが置いてあって、午前中なのでまあそんな感じの番組が流れています。よくわかんないけどジャニーズ事務所の人と思われるタレントさんが体操やってて、ジャニーさんとの思い出とか聞かれてました。俺にしてみれば、ジャニーさんという人もそのタレントさんのことも知らない人なので、そんな情報が流れてきてもまあしかたないんですが、テレビって画面の編集うまいなと思いました。ふだんYouTubeの動画くらいしか見ないので。

 で、ようやく自分の番が来ました。着座するとまずはふくらはぎのあたりに空気の力で伸縮する、なんだ、血圧計の腕に装着する部分みたいなやつを巻かれたんだけど、巻いてくれたおばちゃんが不慣れだったのか、なんかふくらむ部分がふくらはぎじゃなくて脛を圧迫するんすよ。微妙に痛い。とはいえそれをすぐに伝えられるタイプでもないので黙ってます。俺の目の前に「施術中は会話を控えております。ご協力ください」って書いてあるし。

 昨今、二十代男性だとある程度スキンケアするのが常識みたいなとこありますけど、俺はおっさんなのでそういうこともせず、床屋に行ったときに全部やってもらう昭和スタイルなので、総合調髪です。なんかね、角質ケアとかもしてくれるらしいの。

 どうも俺のあとに床屋に入ってきた人は「すっげー待ち時間長くなるからまたあとで来て」と追い返されてたみたいで、だんだん若い人か帰っていって、店内には、おっさんの俺以外は、理髪師さんも含めておじいちゃんしかいない空間が出現しました。俺の世代、けっこう人数多いですから、いずれ俺が70歳になったころには、こういう空間の主成分になるのかな、なんて思いながらバリカンで髪を刈られていました。

 エロ小説の連載で、まだ手をつけてないシチュとしてアナル挿入と剃毛があったんですけど、このあいだアナル挿入に関してはうまいアイディアを思いついたんですよ。椅子に拘束されているあいだほかにやることもないので、そのアイディアを膨らませていたんですが、そのときBGMでスピッツの「チェリー」が流れてきました。それ聞いてるうちにふと思ったんですよ。この曲なんかスーパートランプのブレックファスト・イン・アメリカに雰囲気似てねえかなって。曲調とかコード進行とかぜんぜん別物なんですけど、なんとなく。それでいうと「空の飛び方」はトム・ペティのなんかの曲にわりと雰囲気が似てて、まあ草野マサムネって人、70年代の洋楽をかなり聞いてるっぽくて「ハニーハニー」なんかは完全にアバを意識してるよなーなんて考えてました。

 その次はスキマスイッチだったかな。なんかバラードっぽい曲が流れてきて、一青窈とか、まあいろいろかかってた。最近、90年代とかゼロ年代のヒット曲があちこちでBGMとしてよく流れてる気がします。

 やがて、米津玄師がかかってきて、あーやっぱこの人自分が言うだけあってメロディラインだけで一発でこの人ってわかるよなあと思ったら次がシャルルのボカロバージョンで、そこから流れるようにうっせーわになった。

 平日の午前中の床屋。店内にはおじいちゃんばかり。その状況で流れてるボカロ曲やうっせーわ。これだれのために流れてんのかな。よくわかんねえな。だってここにいる人、俺以外だれもシャルル知らないだろ。あとテレビショッピングのテンションの高え声とごっちゃになってるとちょっと気持ち悪いな。

 けど、そこでふと思ったんすよね。そもそも流行歌ってこういうもんだったんじゃないのかな、と。特にだれが聞くでもなく、どこでも流れてて、知らずしらずのうちに人の耳に入っていく。それはおじーちゃんしかいない床屋でも、もうじき3年ぶりに林立するだろう海の家でも、ひょっとしたら車で送ってったやれるかもしんない雰囲気の車内でもかかってて、きっといくつかの印象的な瞬間にも流れていて、それが時代の記憶になっていく。そういうありかたで存在してたんじゃないかな。

 テレビやラジオといった、大文字の「メディア」というものが死滅してひさしいとは思うんですけど、それでも音楽ってどこということなく流れているものなんじゃないか。そんなことを思いました。

 

 床屋から出て、どうもリストレストの高さがあわなくて調節したいなと思ってて、その足で百均に行ってきました。俺、親指シフターなんですけど、この人種ってキーボードに対する手の構えかたとか、手首の位置とかぜんぜん違うんですよ。いま使ってるリストレストじたいは気に入ってるので、これを流用するには嵩上げするしかない、というわけです。そんで5種類くらいのゴムシートとか滑り止め的なものを買ってきて、百均を出ました。

 気温は高く、さりとて日が差しているわけでもなく、ならいっそ雨でも降ればいいものを、空はただ灰色に沈んでいる。

 加齢にともなって人はだんだん花鳥風月に近づいてくもんだと思うんですが、こんなどこにでも転がってるような水曜日のとある日が、この世界には無数に転がっていて、当事者しか知らない小さなドラマが生まれている。そのすべてを知ることが原理的に不可能であるということは、俺が物語というものを愛する理由のひとつかな、と思いました。

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 アンリミ対象なのでぜんぶ読みました。タイトルこんなですけど、内容は完全に女性向けです。

 いろいろと学ぶところは多かったんですけど、さすがに読んで書いて読んで書いてを繰り返してちょっと疲れてきた……。ただ文章化しねえと学習にならんからな。

 女性向けのエロ漫画、まったくたしなまないわけじゃないんですが、熱心に読むこともない、くらいの感じです。

 なんかもう集中力なくなってるって思いついたことから書いていきます。

 まず興味深いのが「ほかの男に体を許す」という展開がわりと多いことです。それそのものは別にどうでもいいんですが、そのエピソードが持ってる機能ですね、こっちがおもしろかった。まず「誘えばだれでもなびく」という自分の肉体が持ってる性的価値の再確認ですね。もちろん快楽もともなっている。それと本命の男がとうぜん嫉妬して逆上して襲いかかってくるので、行為へのショートカットにもなってます。わりと便利なツールといえる。たぶん男性向けにおけるオナニーバレと対になってるような。

 もっともこれじたいは別にエロでなくてもよくある展開ではあります。いったんはほかの男に行きかけるんだけど、ちょっとしたことで本命のよさを再確認する、みたいな感じで。男性向けではあまり見ない展開です。まあ当て馬か。

 あとは、そうなー、再婚連れ子設定での義理の娘とのセックス展開の話もあったんですけど、これ、女性側の欲望にもとづいて描くとえぐみが違いますね。同じ関係性でも視点が違うとこれだけ差が出るのか、というおもしろさがある。それでいうと、セックスに至る動機が母親への対抗心のみ、というのもかなりおもしろく感じた点です。いわれてみればこれも女性向け作品ではよくあるシチュエーションだったりします。主にライバルキャラの行動原理として。

 エロだと肉体に価値が置かれるのは当然なんですけど、女性向け作品だと、自分の肉体というものに対するドライさみたいなものはしばしば見受けられます。まあここからは、商品化され客体化された肉体云々みたいな話が出てくる気はしますが、俺の手には余るし、いま考えたいことでもないのでスルー。少なくとも、欲望の視線に晒されつづけて、そこに適応すればそういう感覚も出てくるよね、みたいな。

 まあそんな感じです。しかしあれだ。兄と夫の二股とか、俺の世界観からは絶対に出てこない発想ですね。

 

兄が好きな妹と妹が怖い兄の話。 (黒ひめコミック) | 時計 | マンガ | Kindleストア | Amazon

 アンリミ対象で、関連に出てきたのでなにげなく読んでみたら、かなりよかったです。

 さて、俺は自分で書いてるもののほとんどが兄妹ものっていうかなりこだわりのあるタイプです。兄妹ものの作品はかなりの数を読んでると思うんですが、ついさっきですね、ふと気づいたんですけど、有意に女性作家の作品ばかり好んでいることに気づきました。いくつか前のエントリで書いてる妹さんが泣いてるやつの作者が女性だと知ったのでなんとなく思い出してみたらそういうことになってました。

 ちなみに作り手の性別を気にするのはあまり好きではありません。というより俺は、原則的に「作ってる人間なんかいないほうがいい」という立場です。作品は独立したひとつの世界であり、だれかがそれを作っているという事実は、作品世界を消費する自分にとって不都合だからです。これは作り手への敬意とはまったく別の問題です。

 だいたい作り手の性別なんて、内田善美で世界がひっくり返ってからもう考えるのをやめました。

 とはいえ、大雑把な傾向はやっぱりあるんですよね。特に兄妹ものはその傾向が強いです。というのも、男性が強度に属性をまとったヒロインを描く場合、どうしても性癖が服着て歩いてるようなヒロインになりがち。それは俺のことか。俺です。生きててすみません。

 いや、俺のことはどうでもいいんですが、なんていうんだろ「妹」という概念、その概念に対する欲望のほうが先行してて、個別具体的な妹を描写するというよりは、やはり欲望のかたちを見せられている、という気分になることが多いです。

 じゃあ女性の作り手だとその逆か、というとちょっと事情が違っていて、こちらは「好きになった人がたまたまお兄ちゃんだった」というかたちになることが多い。要するに本質は単なる恋愛ものであり、そこに兄妹であるがゆえのドラマ性やらなんやらが付属してる、という感じです。当然ながらそこでは「兄」という概念ではなく、個別具体的なお兄ちゃんが描写されるわけです。女性の作家でエロ描く人も多くて、そういう場合、肉体関係が先行したりすることもあるんですけど、その場合でも、どうしても肉体関係と恋愛感情って分けられないものらしく、結局は心の問題に帰着したりする。まあベースが恋愛ものなんで当然っちゃ当然です。

 先にどっかのエントリで「主人公が好きになられる理由がない作品は厳しい」というようなことを書きましたけど、それでいうと、女性作家の描く兄妹ものには「お兄ちゃんが好きな理由」が描写されないはずがないわけです。ちなみにこの場合の「理由」っていうのは、別に明確なものでなくてもかまわない。たとえハーレムもので主人公が陰キャのブサでもかまわない。好かれる理由があればいい。そんなもん、千差万別ですから。

 あと女性作家による兄妹ものは「妹がお兄ちゃんを好きになる」ので、必然的にお兄ちゃんはかっこよくて妹一筋であることが多いです。あんま複数ヒロイン好きじゃない人間としてはその点もよいです。

 

 で、話をこの作品に戻しまして。

 ここまで書いたような女性作家の作る兄妹ものの特徴を極端に推し進めるとこうなる、というような作品です。つまり妹さん側の片思いですね。この作家さんのほかの作品をまったく知らないのでまったくの憶測なんですが、これたぶん、兄妹ものにこだわりがあるというよりは、成熟しない関係性そのものに興味があるような気がする。というより、最初の話のアイディアがあまりに秀逸だったんで、アイディアありきの作品かもしれませんが。

 それとこの作品、双子の妹がそれぞれ別の兄に恋愛感情を抱いてる、というちょっと珍しい構成なんですけど、二人の妹さんのそれぞれの恋愛のありかたが、対照的なのもすごく効果的。メインとなる語り手の妹さんはヤンデレ風味で、つまり身勝手にも思える恋愛感情を振り回して八つ当たりする、という感じになってるんですけど、俺が物語を通じて摂取したいのは「大好き」の強度そのものなのでそういうの大好物ですすごくよかったです。

 というより、妹さん側の片思い兄妹ものって、少女マンガではわりと古典的なテーマだったりして、昔からそういうの大好きだったので極端な話、お兄ちゃんの存在は別に希薄でもいいや、という感じもないではないです。

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 同人誌です。さほど長くないです。女の子くさいと興奮する人は買ったほうがいいです。

 さて、女の子くさいのいいよなあという人は、とうぜんこちらの作品なんかもご存知かと思います。

https://book.dmm.co.jp/detail/b855aqwnb00081/?i3_ref=list&i3_ord=23&dmmref=a_List_commonList

 まあこの世界では名作ですよ。

 ちなみに女の子くさい関係でいうと、狩野蒼穹さんという作家さんがいらっしゃいまして、この方はことさらに「体臭がきつい女の子」というよりは、ふつうに生活してれば女の子だってくさくなるよね、そのくさいのがいいよね、というスタンスなんですが、このエントリたいがいひでえな。まあ俺はこの作家さん、ほとんど全部買ってると思うんですけど、ただ俺にとって困るのは、基本的に姉弟好きなんですよね、この作家さん。俺は、特に自分で小説を書くようになってからは、自分が自覚していたよりも妹原理主義者であることに気づいてしまっており、そこだけちょっと残念です。ごくまれに妹さんも描くんですけどね。

 話の枕からしてにおってきそうですが、まあリンク先のタイトルで本文を読もうとする人きっとみんな女の子くさいの好きだと思うんで気にせず続けます。

 で、冒頭に挙げた作品は「風呂入ってないし衛生観念薄いからガチくさいよね」というやつです。4日に一度水浴びというリアリティ、においの種類に対する言及の豊富さ、湯気みたいなものでモワーッとかやるよくあるような描写をあまり使用していない点など、まあ、つまり好きなんでしょうね、そういうの。俺も好きだ。

 ところでレビュー見て驚いたのが「自分から嗅ぎにいかない」という区分がこの世に存在していたということです。そっか、そこに区別あるのか、とめちゃくちゃ感動しました。ちなみに俺は、積極的に嗅ぎにいくのもいいと思いますし、ただよってきて気づいてしまうというのも好きなので、まあどっちでもいいです。

 ちなみに最初でちらっと触れましたが、女の子くさい系にも二種類あって、ひとつは本来ならそんなにくさくないのに環境でそうなってしまった系と、もうひとつ、最初から体臭がきつい体質である、というのとです。この区分でも俺は両方オッケーなので女の子くさい五種競技とかあったらまあまあメダリストになれると思います。もうすごいよね、金メダルかと思ったら3日間履いたままのぱんつとか来るからね。銅メダルだと1日しかはいてないよ。

 

 話は変わりますが、というかこの性癖って共有されることがあまりないので、必然的に語りたいことが大量にあるだけなんですけど、実は女の子がくさいエロ漫画ってそこそこありはするんですよ。ただあの、なんていうか、ヒロイン像がみんな濃い。体臭の話だけに。すいませんそういうことじゃない。なんていうんだろ、もれなく剛毛設定とか痴女設定とかいろいろついてきて、被虐妄想の大運動会みたいになることが多いんですよね。俺はね(うざい語りの枕詞)、顔騎にしてもそうなんですけど、こういうの男性側のドM設定とセットにすんのほんとやめてほしいんですよ。あと意外に汚いおっさんが女の子くさいの好きとかいう竿役然としたやつもありますけどそれはさておき、性癖としてマゾ寄りだからまたがられたいとかそういうことじゃないんですよ。かわいい女の子がいるじゃないですか。おまたが気になりますよね。じゃあ密着したいじゃないですか。どうすればいいのか、そうだサドルだ! 俺はサドルになればいい! その気づきを得たらあとは座られるだけです。密着する最良の手段だから座られるのがいいわけです。このへんのことわかってる作品もちゃんとあって、ちょっと作者もタイトルも思い出せないんですけど、黒髪ロング清楚系のヒロインが顔面に座ってくれて、それで座られてる男が大興奮して勃起してて「え、こんなので……?」みたいな感じになってる作品も過去にはありました。でもね、少数派なんですよ! ふたつめに貼った作品が俺にとって名作なのは、あくまでふつうのワキガの女の子がヒロインだからなんです。かわいい。なのにくさい。それはワキとかからただよってくる。そんなのもう性臭じゃないですか。すごいよぉ……ってなりますよね?

 別の性癖として俺はオッドアイの女の子見ると興奮する、というのもあるんですけど、こっちも中二病設定と分かちがたく結びついていて、そうじゃないだろって思うんですよ。たとえば巨乳設定あるじゃないですか。これ、幼なじみでも妹でもだれでもおっぱいでかくなりますよね? おっぱいでかいから、ってキャラの性格と対応したりしないじゃないですか。だから、妹がオッドアイでいいんですよ。なにも特殊な理由がなく。幼なじみがくさくていいんですよ。特別な設定もなく。ふつうの、日常生活のなかにあたりまえのようにそういうものが潜んでいてほしいんです。ちなみにオッドアイの女の子が体臭きつかったら興奮するかっていうとあんがいそうでもないので人間というのは度し難いものがあります。

 というわけで、なんの話だっけ。冒頭の作品ですけど、女の子くさいの大好きな人にとってツボになる描写が実に多いです。おしっこしたあと拭かないとか、お風呂でおしっこするとか、ちょっとくさい膝枕とか。よくわかってます。よいです。さっきのまじめな感想より文章長い。なお俺は女の子は3日間くらいお風呂入ってなくらいがベストで、1週間となるとちょっと覚悟を要する感じかなと思います。以前に書いたお話では、最後にお風呂に入ったのはいつかという主人公の問いに対して「おぼえてない」という返答をヒロインにさせました。優勝です。副賞としていつから履きっぱなしなのかわからないぱんつが与えられました。

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 ウェブコミックのサイトでとりあえず百合作品でなんかいいのないかなーと思ったら「こんにちは わたし炭鉱爆薬の硝安ダイナマイト」というすさまじい一文で始まるマンガを見つけてしまい、なんだなんだと思ってサンプル読んだらすごくよかったです。というより、謎にずっと涙腺が爆撃されっぱなしでした。

 まあこの手の作品に目が止まる人は、たいていびんちょうタンのこと思い出すと思うんですが、作品の性質としてはぜんぜん違いますね。

 あ、ネタバレ含みます。

 要素としては、もちろん非生物の女の子擬人化作品であるということ。それと、軍艦島が舞台であるということで廃墟ものの要素ももちろんあります。

 ただ俺、読んでる途中にずっと連想してたのが綿の国星なんですよ。共通しているのは「人間じゃない存在の視点を借りて、人間の社会を新鮮なものとして描写する」ということです。まれびとっていうんですか、まあこういう構造の作品は連綿と存在してるわけなんですけど。

 しかし視点となっているものが違う。綿の国星の場合、まあご存知の方には言うまでもないんですが、擬人化された猫ですよね。ただしこれ、厳密に猫というわけではなく「擬人化された猫」のなかに詰め込まれたものがなんであるか、という話です。まあこのへん議論するなら、それなりに過去の評論を参照してこいよ、というでけえ話になるわけなんですが、ま、大雑把にいうなら猫であり、少女であり、子供でしょう。あの時代では、擬人化という手法で「チビ猫」という視点を確保したことじたいが最大の発明であったといえるんじゃないでしょうか。ただ、あの方法論の開祖だっただけあって、いろんなものが未分化に詰め込まれた、なんかよくわからないものでもあります。

 ところが時代は流れて、この作品の1巻が刊行されたのが2020年ですか。この擬人化という手法も完全に手垢がつきまして、さらにそこに萌えという文脈が絡んでくるわけです。実際この作品も、絵柄的には萌え4コマのひとつでしょう。また作品のキャッチコピーとしても「かわいそかわいい」というのを採用しているので、想定される消費者像もそんな感じなんでしょうね。実際俺もそうですし。

 ただ、手垢がついてるということは、手法として枯れているということでもあります。存分にメタ化して使うことができる。人間のかたちをとりながら、思うぞんぶん「人間ではない」視点を確保することができる。ここが圧倒的に新しいですね。つまり、主人公であるしょうあんにとって人間に関するものはすべて斬新であり新鮮である。どんな些細なことに驚いてもおかしいことはなにもない。

 ただ、ここで妙な逆説が発生します。作品の舞台は軍艦島です。人間が去って終わってしまった世界です。しかししょうあんはそれを明確には認識していない。「ここには人間がいないだけ」と認識している。おそらくその状況でお話を進める必然があって、この作品では地の文的なものが採用されています。この「知らない」がゆえに「終わった世界」である軍艦島に関してなんら悲観していないしょうあん、そしてそれを解説で補佐する地の文。こうしたものによって、この作品の筆致は徹底的に乾いている。作品の最初のほうで出てきたさくらがしょうあんを物陰からずっと観察していたように、作者の目線からいっても「だれもいない軍艦島で自我を持ってしまったしょうあんかんさつにっき」なんですよ。廃墟といい、たったひとりの境遇といい、題材のすべてが湿ってるんですが、筆致だけは乾いてる。そうなると、逆に、崩れていくだけであるしょうあんの世界が浮かび上がってくる。環境も、小道具も、すべてが感傷を誘いかねないなかで、萌え4コマ的な文法で描かれた「明るい感じ」もあいまって、よけいに終わってしまった感じが強調されてくる。

 作者の意図なんかわかりようもないですし、考える趣味もないんですが、登場するゲストキャラが、しょうあんの環境では得られないものを残して次々と消えていくことを考えると、この乾いた感じはかなり意図的なものであるように思えます。

 そして、お話のラストがめちゃくちゃ構造としてきれいです。しょうあんが「さびしい」という事実に気づいてしまう。作品世界の瓦解です。瓦解は、オチです。なので、お話はこれで終わるわけです。まあほんとのエンディングとしては「いつか人間と同じ日々を」というとこですけど、そっちはわりとどうでもいいですね。

 

 というわけで、なにげなく読みはじめた作品ではありましたが、奇妙なくらい重い手応えを残す作品でもありました。

 というより個人的に、この、エモいテーマを乾いた筆致で描く、というのはいつかやってみたいことでもあります。人は選ぶとは思いますけど、これはおすすめですね……。

 俺の年齢についてはさておき、周囲に50歳前後、あるいは少し越えたくらいのおっさんたちがわりといます。でまあ、アラフォーあたりからそうじゃねーかなーとは思ってたんですが、50歳越してくると、現代という時代についていけているかどうかで露骨なほどの違いが出てきます。直接にはITの波に乗れたかどうかってことなんですけど。

 もちろんそうしたおっさんたちでもLINEは使ってます。ただ、LINEしか使えない。あとは店のほうが設定してくれた交通系電子マネーだとかそれくらい。ただ俺の周囲だとスマホすら使ってないおっさんがけっこういる。

 まあこの段階で情報源がテレビかラジオ、雑誌などのメディアに限定されるわけなんですが、そうしたおっさんたちはほぼ例外なく活字が読めない。新聞も危うい。眠くなるらしいです。なので日々の業務で文字による伝言という手段がほぼ使えない。そうしたおっさんたちがけっこう大量にいると思います。都市部ではどうか知りませんが、中途半端な田舎のこのへんでは。

 いまのお若い世代の方々には想像もつかないと思いますけど、それらのおっさんたちが十代のころには「本を読むやつ=根暗」という図式が成立していて、まあいまでいう陰キャということで、陰キャはある程度カースト底辺に近かったわけなんですが、とにかく「勉強をする」「本を読む」「なにか難しいことを知ってる」というのが致命的に人間としてなにか劣っているような存在だという扱いが一時期存在していました。なのでまあ、俺としてはそれらの人々のことを「自業自得なので思うぞんぶん時代に置いていかれて地面に這いつくばってて若者にバカにされて野垂れ死んでください」と爆笑してさしあげてもかまわないんですが、さすがにこの年齢になるとそれで爆笑する気力もだんだん失せてきます。ざまぁwwww

 

 であのー、俺の私怨は別にいいんですけど、学歴の有無に関係なく、またIT化の波に乗れたかどうかとも無関係に、平然と時代と歩調をあわせるおっさんたちってのも確かに存在するんですよ。なおおばちゃんは、特に子供がいる場合は、子供を通じてほぼほぼ時代にあわせてくるし、なによりあの人たちには「現代」というものに対する拒否感が少ないです。無学なおっさんたちは、現代についていけなくなると「魂が入ってない」とか「軽薄な時代だ」「昔はよかった」などと言いだすので手に負えません。

 で、ついてくる人の特徴なんですが「この世界は学ぶことが可能なものだ」という感覚をごく自然に持ってるんですよね。情報源が人であれテレビであれなんであれ、それは自分と同じ人間のいとなみであり、拒絶する理由もなければ理解できない理由もない。天然でこういう人って確かに一定数存在してるんです。

 無学なおっさんたちに共通しているのは「自分なんかには学ぶことはできない」という諦めの感情です。最近、ちょっとした理由でそうしたおっさんたちにファストファッションの概念を説明しなければならなくなったんですが、最初から「いまさら学んでなんになる」の壁にぶち当たる。そうはいってもあんただってユニクロで買い物したことあるでしょって話なんですが、彼らにとってユニクロとは個別具体的な◯◯店であって、チェーンではない。たくさんの店舗があってそれを利用している人がたくさんいると言ったところで「みんなフリースなんだろ」というところで止まってしまって、それ以上のことは頑として理解しようとしない。たぶん諦めがどこかの時点で変質して「最近の軽薄な風潮」という判断に入れ替わっていて、それを学ぶことが敗北に近い感覚を与えるんだと思います。構造的に自分を守るようにできてしまっている。

 最近、どちらのご家庭も教育に非常に熱心でいらっしゃるようなんですが、別にそれじたいはいいことだと思うんですが、同時に思うんですよね、教育の役目ってなんなんだろうって。50歳を越して「新しいものはすべて否定する」というおっさんの現場を見て思うのは、教育って「世界は学びうるものなのだ」という知識に対する楽観的な信頼を与えることなんじゃないか。もちろんその中身には国語能力だったりいろいろあると思うんですが、結局は「学び得るのだ」ということさえ信じていれば、どうにかなるんじゃないか。そしてそれは何歳になっても決して終わることはない。もっと極端にいえば「世界は日々に新しくなっている。なるほどそういうものだろう」という受容さえあれば、けっこう年食ってもうまくやれてしまうものなんじゃないか、そんなことを思ったりするのです。

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 これは微妙に合わなかった。

 いやあの、兄妹ものとなると、自分で書いてることもありまして、好みが先鋭化しちゃうんですよね。じゃあ自分で書けよとなると、そうしちゃう、みたいな。むしろ「違う、そうじゃない」ってなることがいちばんの創作意欲だったりする。

 いや、いいんですよ。とてもよい作品なんです。異世界でなら兄妹でもオッケーだよね系の作品はいくつか読んだことあるんですが、完全にその関係性が主題になってるのってあまりなくて、ましてタブー意識からの一発逆転なわけで、そのとまどいとか喜びとかそういうのぜんぶ過不足なく書いてあって、すごくよいと思います。

 ただ俺、どうも兄妹ものって肉体関係ありきで考えてしまうところがあって、そこのところが噛み合わなかった感じです。タブー意識、恋愛感情、そういうもの含めてリアル寄りってことなんでしょうね。

 ちなみに俺、兄妹もののもう一方の巨頭である岡田なんちゃらさんの作品がわりと徹底的に苦手なんですが、あの方の作品、エロが濃いことと別に、関係性がリアルすぎるってのがあって、そのへんが苦手なんすよね。生々しいっていうか。性欲先行の作品が多いのでもうちょっと好きになってもいいはずなんだけど……。

 そういや、この「噛み合わない」に関して、趣味が同傾向である人間ほど、細部の趣味が噛み合わなくて最後の最後で話が合わない、みたいなとこありますよね。同じロリコンでも対象年齢が違うとか、同じおしっこ好きでも色の趣味とか、絶頂失禁許せるかどうかとか。まあ蠱毒の壺の内部事情みたいな話ですけど。